シャドバを競技としてプレイしてから半年経ちました
いくつか書きたいことがあったので投稿しました。別に長ったらしく書くつもりはありません。
僕がシャドウバースというゲームを暇つぶしのソーシャルゲームとしてではなく競技のカードゲームとしてプレイし始めてから約半年。
「勝ちたい」という原動力で行動してたらチームに入り、RAGE、シャドバフェス!などの大型大会に4回出場して中途半端な成績を残したり色々ありました。(半年に4回も大型大会開いてくれる運営すげーなというのと、その会場に日帰りで行ける自分運いいなという話も書こうかと思ったがこれは別の機会に)
プレイの仕方ももちろん変わりました。
ただ自分の資産で使えるデッキを使って、上振れをまってただ呆然と数をこなすスタイルから、環境で勝てるデッキは何かをシャドログやJCGの結果などから推測し、その時一番強いデッキを握り(特定のデッキを上手くなりたいからと別のデッキを使うこともある)、プレイも相手の次の手を読みながら思考する(まだ上手くはできてないですがw)ように。アバウトに言えば考えるようになったんです。
そうして得た、(特に大会での)思考の末にたどり着いた一勝は格別なものだったし、的外れだったという結果を告げる敗北はそれは悔しいものでした。
そんな中プレイしていてどうしたって痛感させられるものがあります。
それは
このゲームが確率のゲームであること。
言ってしまえば至極当然のことなのですがw
いくらこちらの構築、プレイが完璧でも運の前では藻屑に消える。 これを読んでるみなさんならきっと経験してるはず。
この理不尽な現実を突きつけられた時「運だけ」「上振れ」「今日は俺の日じゃなかった」
という文言も口にしたはず。
でも上でも言ったようにこれは当たり前なのだ。僕たちは実力がはっきりと繁栄されない理不尽なゲームをやっているのだから。
じゃあそんなゲームで何で勝ちたいの、どうしてプレイするの?と考えると
「楽しいから」
これに尽きるわけです。
カードゲームの運の要素を実力が出なくなるとマイナスに見ることもできるけれど、視点を変えれば実力に差があってもどっちが勝つか分からないという意味でゲームが成立する。
実力のでる競技よりも遥かに多くの人と楽しく対戦できるのだ。
その点だけではないし、単に幼少期からカードゲームに触れているから惰性でやっているだけかもしれないが、僕は楽しいからプレイするし、楽しいから勝ちたいと思っている。
みなさんはどうですか?
と、要はシャドバガチったら自分が想像以上にカードゲーム好きだった事に気づかされたというお話でした。
ちょっと語り過ぎましたねw 次からはもうちっと要点絞って簡潔に書きます。
それでは。