新条アカネから僕はもう目を背けられない
今まで全くといっていいほど公言してなかったのですが、僕「SSSS.GRIDMAN」に登場する新条アカネという子がとても好きなんですよ。
そしてなぜか公にして無いにも関わらず東京理科大学アニメ・声優研究会からお話をいただき、アカネちゃんのみについて語ったインタビュー形式の記事をコミックマーケット95にて頒布された冊子「INSTALLATION」に寄稿させていただいたこともあります。
(当初2〜3ページほどの予定だったのが勢い余って3時間半喋り倒してしまい、要約されてるのにも関わらずページが倍になっていました。編集者の方には大変ご迷惑をかけてしまいました。この場で改めて謝罪させていただきます。申し訳ございませんでした。)
そんなわけで実はもうすでにそこで色々語ってはいるのですがこの記事を寄稿した際は9話放送時点。 10話以降についてやブルーレイ特典のドラマCDについてはまだ触れておらず、また視聴し直して改めて思ったこと、感じたことについてまた書きたくなったので投稿しました。
もう一つにこういうヲタクブログの方がシャドバのより書いてて楽しいというのは大いにあります。
それは固苦しかったり賞味期限がどうしてもあるからですね、あっちはどうしても。
全話振り返って改めて見てみると彼女を語る上ではやっぱり9話「夢・想」は外せないでしょうか。
今までツツジ台と言う狭い虚構の世界の神様として、超然とした立ち振る舞い、時にエキセントリックだとかサイコパスだと評されるような言動、行動をし続けてきた彼女は実は友人だとか恋人なんかの人との繋がりを求める普通の女の子であることが暴かれる回なのですが、その回以降見る目が変わったと言う方は多く、思わず救われて欲しいと願った、逆に肩透かしをくらったなど色々な感情を想起した視聴者は多いかと思います。(僕が前者なのは言うまでもないのですがw)
ただ僕の場合、9話以前からそう言う印象を持っていたので見る目が変わったなんて言うことはなかったです。
むしろ初見時は分かり切ってることを描いているのだから無駄な回なのではとも思っていたくらいです。
どう言うことか。
作中のアカネちゃんの行動や言動の節々に人と接することがめちゃ下手くそな感じだとか、強い自己嫌悪を抱えてるんだなと言うのがありありと出てるんですよね。
部屋に溢れるゴミ袋(ちゃんと袋にはまとめてるのがポイント)や割れたままのスマホだとかの生活様式なんかはもちろん(ただズボラなだけなら誰かに片付けさせるだとかスマホ買い換えたりだとかできるはず、神様なのだから)
人と距離を詰めようとする時軽率に性的に誘惑しちゃうところとか、
みんなが自分を好きになるよう設定してるのに傍若無人に振る舞わず、むしろ嫌悪感を感じる相手に対してもヘラヘラして道化を演じている始末。
特に会話なんかには如実にそれが表れてますよね。
ちょっとブルーレイ3巻のドラマCDのネタを拾うと
9話で裕太とデートしていると言うシチュエーションなのですが
「はぁい!あなたのハートを刺しちゃう♡かわいい彼女!新条アカネでぇ〜す☆Huhhhhhh✨✨✨」
の一言は象徴的。その直前の裕太くんの回想含めなんとも居た堪れない気持ちになりました、ええ。
そしてアカネちゃんのその不器用さは特に六花ちゃんとアンチくんからも読むことができます。
彼女にとって最も特別な存在である六花ちゃん。どれほど好いてるかは"""偶然”””家を隣になるよう設定したり、9話の夢で例外的に自分の欲望丸出しな内容なところからして明らかのですが、
でも教室の席はわざわざ一番端っこの遠い位置だったり、バス内では終始後ろの席に座るなど六花ちゃん本人とは向き合おうとしない。
それが意識下なのか否かは定かではないですがどちらにせよなんらかの後ろめたさみたいなのがあるんでしょう、傷つきたくないみたいな。
だのに自分の正体は神様で自分との関係性も全て仕組んだものだと明かしちゃう。
相手に受け入れがたい真実を話して結局拒絶されて傷ついてる。
自分のしたいこととやりたいこととがひっちゃかめっちゃか。
7話で裕太くんと手を組もうと行って足をくんで見せてるところが分かりやすい例ですよね。
その極地が本当の友達が欲しいのに最初から自分を好きになるよう設定してしまうところで、いくら好意を寄せられても結局それって...、と言う坩堝に陥ってしまう。
そもそもそう設定しちゃうところに闇が見え隠れするわけですが、相手の好意が分からないとこっちも向けられないだとかそもそも人間不信なのかもしれないですよね。
(こういう価値観持ってそう)
他にもこういう闇は作中アカネちゃんの親族が一切現れないところにもありますよね。
そしてここでアンチくんが登場するのですが、一番身近な最も家族に近い存在なのに弁当投げつけたりスペシャルドッグ踏んづけたりととにかく冷たく当たる。
よく虐待を受けた子はその子供に結局同じことをしてしまうという話がありますがまさしくそれですよね。
(アニメージュのキャストインタビューでアカネはアンチを弟のように思っていて精一杯姉らしく振舞っていると語られてるので確信氾かなと)
この描写はそれだけではなく、アンチくんを掘り下げるともう一つ見えてくるものがあります。
彼はグリッドマンを倒すために生まれたからアンチ(グリッドマン)と名付けられたのだと推測できるのですが果たして本当にそれだけでしょうか?
アンチくんはその名前に反して手を組もうと行って足組んじゃうアカネちゃんと違ってともかく真っ直ぐではっきりしている。
グリッドマンを倒すためにするべきことをストレートに実行するし、たとえ相手の話であっても鵜呑みにしちゃう。
それはボラーに「あいつ本当に素直だな」と言わしめるほど。
そして哀れみからの始まりとはいえ六花ちゃんとすぐ打ち解ける。(初登場後約3分で出会ってるのでもうスゴい)
そんな様子はアカネちゃんのそれとはくっきり正反対。
作中で終盤でかたや新しいグリッドマン、片や怪獣に成れ果ててしまった点などあげればキリがないのですが、
そんなアンチくんのあり方とは即ちアンチ(アカネ)でもあるわけで、ある意味もう一人のアカネちゃんとも言えるわけです。
(原典をたどると原作版アカネちゃんである武史にもそのような存在、タケオが作中第33話で登場しておりその構図に似てるとも言えるのですが少々脱線するので割愛、でも見て欲しい。好きな回なので)
だから自分のことが嫌いなアカネちゃんはアンチくんをぞんざいに扱っちゃう。
そう行った彼女の生き方と在り方の極地が9話なわけで、思い通りにできる世界なのに何一つうまく行かず、夢という手段を用いても3人に振られてしまい1話にして99-12という阪神もびっくりの大記録を打ち立てしまうわけです。
だから彼女には怪獣が必要だった。
一つは気に入らない、制御できないものを管理するため、もう一つはもっと制御できない自分の負の感情をぶん投げるため
ここで語れるように怪獣はアカネちゃんの負の感情の結晶なわけで、だから生命活動をしているわけじゃない、生き物じゃないと言えるのです。(理科大アニ研のインタビューを受けた際にその様子はまるっきりウルトラマンガイアのOPの2番の歌詞「愛さえ知らずに育ったモンスター 叫びはお前の涙なのか」とまんま同じですよねと語ったのですが著作権の都合からオールカットされちゃいましたw)
「怪獣はね、人に都合を合わせたりしないよ。いるだけで人の日常を奪ってくれる。それが怪獣。」
と10話で彼女がそう評してるように、どこまで行っても、思い通りになる空想の世界であっても現実は地獄だからそれを変えてくれる手段が必要だった。
それすらもグリッドマンに阻まれ続け、10話でついになんで怪獣なんて作ってるんだっけと目的を見失う。
そして最後の怪獣ナナシは街の管理である怪獣べノラを破壊して回る。わざわざ首を切って流ところ含めてあれはある意味のリストカットですよね。
そこまで追い詰められたらそりゃカッターするしかないわけです。しょうがないじゃん。
そしてそんな彼女を助けるのが散々否定して、しまいには「どこでも、好きなところ行きなよ」と拒絶したあのアンチくんなところに救いがありますよね。
嫌いな自分をあそこでやっと、少しだけ受け入れられた瞬間なわけで。
作中ではグリッドマンのフィクサービームで改心したことで解決という形に表面上ではなってますが、それはあまりに貧しい見方ですよね。(逆襲のシャアのクライマックスはアムロのNT能力によるものと解釈するに等しい)
そうじゃなくて、直前のアンチくんが、そして六花ちゃんたちが(フィクサービームを通して)自分の意思で手を差し伸べてくれたこと。
そして「どこへ行っても私と一緒」とお守り代わりの定期入れをくれたことこそが彼女の救いとなったわけです。
(直前の「どっか行っちゃえってこと?」という反応が僕自身に痛烈に刺さるという意味でとても好きです)
そして作中で下った罰、もっとも好きな人と一生会えない、それを本人から願われてしまう。そしてリアルイズヘルと立ち向かわねばならないというのは罪にたいして相応のものですよね。
でも昔の自分とは違う、ここでこの作品のキャッチコピーが出てくるわけです
「独りじゃない。いつの日も。どこまでも。」
SSSS.GRIDMANが結局どんな作品だったかというと、物語の物語だと思ってまして、創作の世界は所詮虚構の嘘っぱちだけれどそれを通して得た気持ちや感情は本物だよねというのを描いてるのだと思ってます。
ツツジ台という新条アカネが作ったフィクションが、そこに生きる人々が、最終的には作者の思惑を飛び越えて救いの手を差し伸べて、物語が終わった後もそばに寄り添い続ける。作中でなんども流れ、最終回のEDにもなった「Believe」はまさしくそれを象徴してますよね。
そんなこの作品は「もっと現実を見ろよお前ら」と突き放した過去の作品(特に庵野くんのは生理的に拒否反応出て我慢できずに見れませんでした)
から脱して、否定したい地獄でも寄り添ってくれる楽しい世界はあるよと行ってくれるようですごく感動したし癒された気がしたんですよね。
(面白いことにこれを指揮した雨宮監督はエヴァの大ファンなのだから面白い)
そんな世界で血を吐きながら続ける哀しいマラソンをし続けたアカネちゃんの姿は時に愛おしく、特に切なくもなり時に...と色々な感情が、言語化できない感情に襲われるわけです。これこそが「エモい」というものなのでしょうね。
そのエモいが何故なのかを探っていくと、僕の今までの(カミーユ・ビダンで言う所の貧しい青春とも言える)生き方のせいというのがあります。これについては話したくないので話しません。
でも確かなのはこう感じるのはアカネちゃんにそう設定されたから、なんていうことでは決してないということです。
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